東京から島根に来て生活してみた

人口20倍ちがうんだぜ・・・

今について

ふと考えてみる。

 

今、という一瞬を証明するのはとても難しいのではないかと。

 

これから来る今は「未来」

今過ごしているこの一瞬はすぐに「過去」

 

ということになるからだ。

 

よく「今を頑張る」という標語がある。

ありきたりなもので、特に何も感じないのだが、今という瞬間は現実に存在しないに等

しい。

 

つまりだ、今を頑張るということは

「未来」でも頑張るし

「過去」でも頑張ってきた

 

それを連続して続けて行くのだ。ということになるからだ。

 

ああ、全く。厄介な性格といえる。

 

この瞬間にたいして「今」というものは存在しない。と結論づけたところで、なにかが変わるわけではないのに。

私は、結構な空腹を感じながらキーボードを叩いている。

 

私は過去に「今」を全力で頑張るといった経験をしたことがない。

 

そりゃ下っ端のときは寝る間を惜しんだつもりだし、休みもあまりとらなかった。

 

今もそんなに休みはないし、日によっては終電を逃すこともしょっちゅうだ。

 

けれどそれは決して「今」を全力で頑張っているわけではないのだ。

 

与えられたタスクを、自分自信工夫しながらこなしていくだけ。

 

ただ時間を消費しているだけ。頑張るってのとはちょっと違う。

 

と考えると、「今」を全力で頑張るっていうのは難しいねぇ。

 

「今」という定義も曖昧なのに「頑張る」というところも、もやもやしてしまったわけだ。

 

文字数を意識しながらキーボードを叩くと碌な記事にならない。

 

さて、そんな「今」

 

実はこの記事は昨日ちょこっと書いていた。そこに一日たった私が、昨日の私を継ぐようにこの記事を仕上げている。

 

昨日の書き始めは、こんな方向へ向かうなんて想像できなかった。

 

昨日の自分と今日の自分は、違うのだろう。おそらく感覚的な何かが。

 

細胞レベルではない、あくまで感覚的な何かが、なのだ。

 

さて、「今」は朝である。

しばらくは朝という時間は続くだろう。

 

それにしてもだ、朝なのに暑い。これはどうしようもない暑さだ。

 

「今」は朝であり、同時に夏でもあるからだ。

 

夏の朝は暑い。

しかし、この暑ささえ、一日一日変わっていく。

 

暑い暑いといっていたのに、そのうち寒い寒いと繰り返すようになる。

 

「今」は変わっていくのだ。

 

そして、私も変わっていく。

 

年を取り、腰は曲がり、頭はハゲてくる。もしかしたらお腹すら出てくるかもしれない。

 

そして、このようなブログは二度とかけないであろう。

 

冒頭で「今」という一瞬を証明するのはとても難しいのではないか、と言った。

 

人間が思いを巡らせるのは、いつだって「未来」か「過去」なのだ。

 

今を生きているであるが、常に今にいることはない。

 

それもまた、矛盾なようで素晴らしいことである。

 

ではまた。