今について
ふと考えてみる。
今、という一瞬を証明するのはとても難しいのではないかと。
これから来る今は「未来」
今過ごしているこの一瞬はすぐに「過去」
ということになるからだ。
よく「今を頑張る」という標語がある。
ありきたりなもので、特に何も感じないのだが、今という瞬間は現実に存在しないに等
しい。
つまりだ、今を頑張るということは
「未来」でも頑張るし
「過去」でも頑張ってきた
それを連続して続けて行くのだ。ということになるからだ。
ああ、全く。厄介な性格といえる。
この瞬間にたいして「今」というものは存在しない。と結論づけたところで、なにかが変わるわけではないのに。
私は、結構な空腹を感じながらキーボードを叩いている。
私は過去に「今」を全力で頑張るといった経験をしたことがない。
そりゃ下っ端のときは寝る間を惜しんだつもりだし、休みもあまりとらなかった。
今もそんなに休みはないし、日によっては終電を逃すこともしょっちゅうだ。
けれどそれは決して「今」を全力で頑張っているわけではないのだ。
与えられたタスクを、自分自信工夫しながらこなしていくだけ。
ただ時間を消費しているだけ。頑張るってのとはちょっと違う。
と考えると、「今」を全力で頑張るっていうのは難しいねぇ。
「今」という定義も曖昧なのに「頑張る」というところも、もやもやしてしまったわけだ。
文字数を意識しながらキーボードを叩くと碌な記事にならない。
さて、そんな「今」
実はこの記事は昨日ちょこっと書いていた。そこに一日たった私が、昨日の私を継ぐようにこの記事を仕上げている。
昨日の書き始めは、こんな方向へ向かうなんて想像できなかった。
昨日の自分と今日の自分は、違うのだろう。おそらく感覚的な何かが。
細胞レベルではない、あくまで感覚的な何かが、なのだ。
さて、「今」は朝である。
しばらくは朝という時間は続くだろう。
それにしてもだ、朝なのに暑い。これはどうしようもない暑さだ。
「今」は朝であり、同時に夏でもあるからだ。
夏の朝は暑い。
しかし、この暑ささえ、一日一日変わっていく。
暑い暑いといっていたのに、そのうち寒い寒いと繰り返すようになる。
「今」は変わっていくのだ。
そして、私も変わっていく。
年を取り、腰は曲がり、頭はハゲてくる。もしかしたらお腹すら出てくるかもしれない。
そして、このようなブログは二度とかけないであろう。
冒頭で「今」という一瞬を証明するのはとても難しいのではないか、と言った。
人間が思いを巡らせるのは、いつだって「未来」か「過去」なのだ。
今を生きているであるが、常に今にいることはない。
それもまた、矛盾なようで素晴らしいことである。
ではまた。